名古屋地方裁判所 昭和62年(タ)83号 判決 1988年4月18日
原告
甲原一郎
右訴訟代理人弁護士
神谷幸之
被告
甲原花子
主文
一 原告と被告とを離婚する。
二 原告と被告との間の長男和男(昭和五三年六月一九日生)の親権者を原告、次男久男(昭和五八年七月二六日生)の親権者を被告と各定める。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文一、三項同旨
2 原告と被告との間の長男和男、次男久男の親権者を原告と定める。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告と被告とは、昭和五二年三月九日婚姻届出をし、その間に長男和男(昭和五三年六月一九日生)、二男久男(昭和五八年七月二六日生)が出生した。
2 離婚原因
(一) 原告は名古屋市港区にある○○株式会社の営業所主任として勤務し、被告は、家事に従事している。
(二) 被告は、昭和五八年頃から友人の勧誘により「エホバの証人」に入信し、熱心な信仰生活を送るようになり、多くの時間をさいて宗教活動を行ない、家庭生活をかえりみない。
(三) 被告が宗教活動のため春秋の大会に参加した際、長男和男を連れてゆくことを原告が反対したにもかかわらず、原告の意思を無視し、学校を休ませて右大会に同行した。
(四) 原告が子供らのために鯉のぼりを飾ってやろうとしても、被告は「エホバの証人」の教義から、これを拒否し、更に、正月、節分、ひな祭、たなばた等日本人の習俗的行事をすることまで拒否している。
(五) 被告は、又その宗教上の教義から原告の親戚が行なう仏式の「法事」等にも出席せず、また知人との付き合い、勤務上の関係にも被告の信仰に起因する悪影響が生じている。
(六) 以上のような被告の宗教的行為のため昭和六〇年秋頃から原告は被告と寝室を別にし、食事も家では殆んど食べず、会話もない状態が続いている。
3 従って、原、被告間の婚姻生活は現在完全に破綻しているから、原告は、民法第七七〇条一項五号に基づき被告との離婚を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2(一) 請求原因2(一)の事実は認める。被告は、信仰上必要な行動をとるときは、いつも原告に事前に話をして了解をとるようにしており、原告はいつも何も答えなかったが、黙認してくれていると思っていた。
(二) 同(二)のうち被告が昭和五八年頃友人の勧誘により「エホバの証人」に入信し、熱心な信仰生活を送るようになったことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同(三)のうち二度の大会の際長男和男に学校を休ませて連れて行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。長男とともに原告に対し、何度も右大会に参加させて欲しいと頼んだところ、最後には「勝手にしろ」といったので、承諾を得たものと思って、長男を連れて行った。信者にとって、大会は神の言葉を知る重要な機会であり、又子供にとっても聖書の高い道徳基準の教えによって訓練を受け、向上してゆくから有益なことと思われる。
(四) 同(四)のうち被告が「エホバの証人」の教義から鯉のぼりを拒否したことは認める。「エホバの証人」はエホバ神が唯一の神であり、創造者、至高者であって、他のいかなる神々をも創ってはならず、崇拝行為を捧げるべきでないとの聖書の教えに基づき、他の宗教色のある行事や儀式に参加しない立場をとっており、それらに参加することは聖書に書かれた原則に反することになる。
(五) 同(五)の事実は否認する。
(六) 同(六)のうち原告が昭和六〇年秋頃から被告と寝室を別にし、食事もほとんどとらず、夫婦の会話もない状態が続いていることは認めるが、その余の事実は否認する。
3 請求原因3の事実は争う。
被告は、「エホバの証人」の信者となり、聖書を学んで、原告の愛、寛大さや思いやりに深く気付かされ、以前にも増して感謝の気持と愛が深まったと思っているから、原告にこのような被告の気持を理解してもらえば婚姻生活を維持できると思う。
第三 証拠<省略>
理由
一<証拠>によれば、原告と被告は昭和五二年三月九日婚姻届を了した夫婦であり、その間に昭和五三年六月一九日長男和男、昭和五八年七月二六日次男久男がそれぞれ出生したことが認められる。
二そこで、離婚原因の有無について、検討する。
1 <証拠>及び弁論の全趣旨によれば次のような事実が認められる。
(一) 原告は、昭和五二年三月の結婚当時から○○株式会社に勤務し、現在同会社営業所の主任の地位にあり、又被告は結婚以後専ら家事・育児に従事してきた。
(二) 被告は昭和五八年一一月頃、友人の勧誘により「エホバの証人」という宗教を勉強する気持になり、原告にその了解を求めたところ、原告において家庭に影響を与えないならばということで承諾したので、以後その勉強会に出席するようになった。そして、「エホバの証人」の教義を勉強するにつれ、その教義に深く感動し、間もなく、信者の集会に出席するようになり、その間、原告は被告に夜の集会には出席しないようにとか、更に、当初考えていたのと異り、「エホバの証人」という宗教が他の宗教を全く認めず、排他的であることを知ったので、右宗教の信仰をやめるように求めたが、被告が応じなかったため、三日間自宅に帰らなかったこともあったが、それでも被告はこれらに応じず、次第に、集会への出席も多くなり、昭和六〇年三月には浸礼を受けて、正式に信者となり、そして、現在週三回(日曜日昼、火曜日、金曜日各夜、計約五時間)集会に出席するほか週四、五回適宜の時間に伝道に歩くなどの宗教活動をしている。
(三) 被告は親である自分が宗教上信じていることを子供に教えることは当然で、子供にとって有益なことであるから、原告が反対しても教えたいと考え、そのように実行してきた。そして、昭和六〇年には「エホバの証人」の信者による大会が一泊二日の日程で開催された際、原告の強い反対にもかかわらず、長男和男を学校を休ませて連れていったことが二回あったし、又子供らに対し、食事前に必ず「エホバの証人」に感謝しなければ食事を与えなかった。
(四) 原告が被告に子供らのために鯉のぼりをあげようと言ったところ、被告は、鯉のぼりを押し入れから出したけれども、「私はたずさわりたくないので、一人でお願いします。」と言い、それ以上の協力を拒んだ。翌年も被告が同様な態度をとったため、原告は以後鯉のぼりをあげないようになった。右のように鯉のぼりだけでなく、正月、節分、ひな祭等の行事についても、「エホバの証人」の教義が他の宗教の儀式だけでなく、祝祭日の行事、儀式も、他の神々や迷信と結びつきを持っているため全く参加しないという立場をとるため、被告はその教義に従う気持でいる。
(五) 右のような「エホバの証人」の教義のため、被告はその信者となってから、原、被告の親族の仏式による葬儀が一回、法事が五回あったがいずれもそれに参加はするものの崇拝行為、仏具を持つこと、喪服を着ること等をしなかった。
(六) 原告は以上のような「エホバの証人」の信仰に基づく被告の行動に強い不満を持ち、又子供らが次第に右宗教の影響を受けてゆくことについて危惧の念を持ち、再三被告に「エホバの証人」の信仰をやめるように求めたが、被告がこれに応じないので、被告と離婚することを決意し、昭和六〇年秋頃からは、被告と寝室を別にして夫婦関係もなくなり、夫婦間の会話もなく、又食事もほとんど家でとらなくなった。
(七) 他方、被告は「エホバの証人」の教義を深く信仰し、その教義に従うことが自分の生き方であって、右信仰をやめることはとうていできないものの、原告に対して愛情をもっているから離婚する意思はなく、そして、原告に被告の右信仰を認めて欲しいと思っている。
以上の事実が認められる。
2 国民は総て信教の自由を有し、このことは夫婦の間においても同様であるが、しかし、夫婦として共同生活を営む以上その協力扶助義務との関係から宗教的行為に一定の限度があることは当然のことと考えられる。
そして、前記認定の事実関係からすると、まず、被告の集会への出席、伝道活動については、明確には被告の家事行為に支障が生じていることが認められないとしても、極めて多くの時間が費されていて、通常考えられる信教の自由の範囲を越えているというべきであり、次に、子供の養育は父母が共同して行うべきであるのに、原告の意思に反し、まだ幼く、判断能力の十分でない子供らに、「エホバの証人」の教義を教えることを正しいと信じ、これを実行したことは不適当であり、更に、鯉のぼり等の行事は日本人としての習俗的なものであるにすぎず、又仏式による葬儀、法事等の崇拝行為、服装等についても社会交際上の慣例の範囲にあるものということができ、本質的な信教の自由の保障に反するとまでいうことはできない。従って、被告は婚姻関係における扶助協力義務の限度を越えて宗教的行為をなしているといわなければならない。
このため原告において、被告の宗教的行為を家庭に持ち込むことに不満を持ち、特に子供が「エホバの証人」の教義に影響を受けてゆくことに危惧の念を持ち、ついに、被告と離婚することを決意するに至ったことはやむを得ないことであり、そして、被告において、なお自己の宗教的行為を改める気持がなく、又昭和六〇年秋頃以後原、被告間に夫婦関係がなく、原告が家でほとんど食事をしない等の状態が続いていることからすると、原、被告間の婚姻関係は破たんしていると認めるのが相当である。
3 従って、民法七七〇条一項五号に基づく原告の離婚請求は理由がある。
三次に、子の親権者の指定についてみると、子供らがまだ幼なく、判断能力が十分でないのに、「エホバの証人」のような排他性の強い宗教の影響を受けさせることは適当でないと考えられるが、次男久男はまだ幼少であるので、母親による養育を必要とするから、次男久男については被告を親権者と定め、そして、長男和男については原告を親権者と定めるのが相当である。
四以上のとおりであるから、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官林輝)